清田産業株式会社

清田ダイアリー KIYOTA DIARY

記憶に残る植物(3)

マメ科ダイズ(その3)

飯沼宗和
岐阜薬科大学名誉教授岐阜医療科学大学客員教授 飯沼宗和

2009年05月01日

記憶に残る植物(3)

大豆は私たちの食生活に古くから馴染みのあるものです。しかし、現在の大豆製品の多くは輸入大豆に頼っており、国産大豆は減少しています。
今回は日本食における大豆の偉大さをお話しします。

現在と伝統の豆腐の製造方法

 厚生労働省は、「食の安全への厳格化」を目指して、ニガリの規格化を試みていました。結論的には、平成20年4月から施行する予定でしたが延期となりました。固形の均一化塩化マグネシウムをニガリとして使い、液体のマグネシウムを排除するのが目的でした。そして豆腐製造には添加物製造業の許可と食品衛生管理者を置くことを義務化しようとしたのです。豆腐製造の長い生い立ちに革新的なメスを入れ近代化しようとする試みでした。

おぼろ豆腐

 しかし、この液体マグネシウムは海水から塩を作った残渣で、様々なミネラルを含んでいるため規格化できません。昔ながらの豆腐の製法が個々の製造所にあり、成分にも幅がありその味は製造所によって違っていました。規格化できない故に味に幅があります。

 夕刻ラッパの音と共に最初は自転車で、その次の時代は軽トラックで売りに来たものです。懐かしい風景ですが、最近は全くなくなってしまいました。一つの縄でくくることは、多様化から均一化へのルート変更です。まろやかで甘みのある豆腐を否定してしまうこととなり、伝統味のある豆腐が喪失してしまう危険性があります。

 一見無謀とみえるこの試みは、実態に合う基準を求める声で掻き消されてしまったのです。伝統文化の良さを科学で安易化する動きは他の分野でもありますが、豆腐をこよなく愛する人々には朗報でした。

日本の大豆はどこへ?

豆腐と大豆

 日本は、大豆のほぼ全量を海外の供給国に依存しています。大豆をマクロ視野で見るとき、その国際価格が高騰を続けていることが悩みです。食用油を製造している会社の役員の方が嘆いていました。アメリカ、ブラジル、アルゼンチン、パラグアイが大豆の輸出国ですが、これらの国が、万が一にでも生産量を減少したりすると国際価格が急上昇します。

 高騰の原因は別の所にもあります。中国は世界でも最大級の油糧種子の生産国で、かっては大豆、菜種、落花生などの輸出国でした。しかし、急速に増加する植物油需要を満たすため、いまや輸入国へと変貌してしまいました。

 なかでも大豆は大豆油消費の急激な増加に伴い世界最大の輸入国となっています。この事情が大豆の国際需要に大きな影響を及ぼし、国際価格の高騰を招いています。我々の食卓に直結する大きな問題です。

日本の伝統的な大豆料理

呉汁

 「呉汁(ごじる)」という伝統的な味噌汁があります。一昼夜水に浸しておいたダイズを擂り粉木(ミキサー)で細かくすり潰して、厚揚げ(若しくは油揚げ)、豆腐と共に煮込み味噌で味付けして、最後にネギを加えたら出来上がりです。郷土料理と思われがちですが、日本中いたるところに呉汁はあります。基本は同一で、具の組み合わせや量に地域の特色があります。

 納豆汁も全く同じです。納豆を味噌汁の具にしたもので、油揚げ、豆腐、ネギが構成員です。呉汁や納豆汁では味噌に加えて、ダイズ(納豆)、厚揚げ、豆腐と全ての原料が大豆でダイズオンパレードの料理です。お餅やご飯に日本酒をかけて食べるようなもので、日本の食生活に占める大豆の役割の大きさを物語っています。

晩食の例

和食の食卓

 ある晩の慎ましやかな我が家の夕食の紹介です。モヤシとワカメの味噌汁、冷や奴、オカラの炒めもの、シイタケ、チクワとアブラアゲの煮物、アジの開き、そして漬け物。静かに箸をすすめていますと、突如「暑いの、寒いの、冷たいの、またまたやっとかめ(愛知や岐阜の方言:久しぶりの意味)」とざわめきがしています。卓上が何だか同窓会の様相を呈しています。

 聞き耳をたてますと、冷奴とオカラが二日ぶりの出合いを悦び合い、他方では、モヤシとアブラアゲが身の上話しをしきりにし始めたからです。

 もう少し深刻な話を呉汁で聞くことができます。長老格は、長年仕込まれて熟成した味噌です。三代前のこと、家系のことを重い口調で話をしていました。豆腐と油揚げは親を気遣い何故か寡黙でしたが、昨日まで元気だった水を含んだダイズは祖母と母親とに会えて、嬉々として満面に笑み浮かべ喜びを隠し切れませんでした。

  鍋の中で盛り上がり、椀の中で別れをおしみながら、胃袋の中で最後の別れをし、それぞれ形を変えて吸収されていくのでした。やがては体内ではダイズ由来の持てる機能を発揮してくれることでしょう。豆でマメに暮らそうと結びます。

この記事を書いた方

飯沼宗和

この記事を書いた方

岐阜薬科大学名誉教授岐阜医療科学大学客員教授飯沼宗和

1947年松本市生まれ。薬学博士。1974年岐阜薬科大学大学院薬学研究科修士課程修了。1980年薬学博士取得(岐阜薬科大学)。1974年岐阜薬科大学助手、2002年教授となり、39年間にわたり専門の生薬学を中心に教育研究に携わる。1998年から4年間岐阜県に出向し、保健環境研究所所長を歴任。研究分野は民族伝承薬物の科学的根拠に基づく医薬品、健康食品、化粧品の研究開発。

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